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『PTA会長入門/学校と関わろう』
●PTA無用論
校長や教頭をはじめとする学校側は、表面では「相互理解のためにお父さんやお母さん方のご協力ご尽力は不可欠」だとかなんとか、リップサービスを言ってますが、実際はその存在が重く面倒で、迷惑だと思っているところが多々あります。でも保護者から見ればまったく不可欠そのものです。第一、学校側は父母という素人たちからとやかく言われたくない、教師たちプロに任せておけばいい、と考えているでしょうが、そのプロがプロたる力量を、もはや持っていない以上、こっちが口を出さなくてはならないことが多すぎるんですから。
本当に教師の質は落ちています。例えば勉強は塾の方が教え方がうまいということを認めてしまっていますし、それなら普段の生活習慣を教えることや、集団生活の指導ができているかというと、これも下手なんですから、なんの心配もない子を持っている親だとか、いつも運よくいい先生にあたると楽観している親、あるいは子供のことを放置している親にとってはPTAは不要でしょうが、そうではない親子の方が多いわけですから、やはりPTAは存続させておくべきでしょう。
●学校と親の相互理解
今はいじめひとつをとっても親が出ていかなければならないことが多いので、先生そして学校を知っておかなければならないのです。また他の親たちとも友好な関係を築いていた方が、ことが起きた時の対処のために有効なんです。そのためにはなにも会長をやらないまでも、何かの役員を引き受けるぐらいには、PTA活動に積極的な関わりを持っておきましょう。また実際に関わりを持ってみると、いろいろなことを知ることができます。例えば子供たちの状況がどうしてこんなに悪くなってしまったかの原因が、学校教育だけにあったのではなく親の側にもあったことがよく理解できます。
人は見かけによらないと言いますが、やはり見かけ通りの場合の方が多いもので、大体その子の親に会うと納得できます。問題のある子の親は親、例えば意地悪な子の親はやっぱり意地悪なことが多いものです。そうした親は自分の意見以外を聞く耳を持っていませんから、先生に関しても親に関しても、その善悪の判断基準が違います。
例えば子供の心をきちんと把握できている先生でも、自分の考えにそぐわなければ悪い先生として捕らえ、なんとあらぬ噂さえ流しかねません。そうした場合にもっと問題なのは、そうした親が類は友を呼ぶの喩え通りに群をなすのです。
そうした親たちのすべてがPTA参加に積極的であれば、話す機会もありますから解決の糸口もつかめるのですが、そうとばかりは限りません。裏で糸を引いていたりするのですからやっかいです。でもそうしたことをひっくるめてでも、相互理解のために、PTAを含め学校や他の親たちと積極的に関わりを持つことは意義があると思います。
●仕組・行事・役目
学校によってその組織の名称は異なる場合もありますが、おおむねその内容は似たようなものです。各学級や地区での係りの選出は新学期が始まってからになりますが、会長・副会長をはじめとする役員(候補)は、新学期が始まる前に決めておかなければ間に合いません。そのあたりが大変なのです。
●新学期を控えて
私に会長就任の依頼があったのはひょんなことからでした。わが家には子供が4人いますが、三男が6年に長女が4年になる新学期を間近に控えた3月のことでした。
会長・副会長の任期満了または辞任に伴い、新たな会長・副会長の決定をしなくてはならない期末になると、どこの学校でも裏での動きが活発になります。本来であれば推薦委員会というものがあり、そこを中心に自薦他薦者の中から、ふさわしい人材を選ぶことになるのですが、実際には自分から進んでという人はいませんし、他薦されてもそのほとんどがなんらかの理由をつけて、断ってしまうのが普通のようです。たとえやってみたいと思っていても断るのが普通なのです。
私が打診されたのも他になり手がなかったためでしょう、3月も半ばを過ぎた頃でした。前任者の辞任に伴い、早急に新会長を決めなくてはならないのに、誰もが尻込みをしてしまっているからでした。私は実は前々から興味を持っていましたが、私のような人間がそれにふさわしいはずがないのです。大抵が地元の実力者であるとか、古くから顔の売れた人間のすることです。私などどこにも定住する気がありませんから、地元というものがありません。それに職業にしても自由業ですから、普通に考えればPTA会長のタイプではありません。その上、どちらかというと反体制派ですし、ものごとを正面から捕らえるよりも斜に見る方が好きなのですから、いよいよタイプじゃないのです。
しかしその時は、もう余程切羽つまっていたのでしょう。推薦委員会の人たちは半分以上、誰でもいいからなんとかしなくては、と考えていたのではないでしょうか。そもそもは私にではなく、妻に頼みにきていたのですが、彼女にしても私同様の性格と生活ですから、ふさわしくないという意味では似たようなものです。そこで彼女は同じふさわしくないふたりを比較するなら、まだ私の方がベターと考えたわけです。とにかく時間的にみて、一刻の猶予もない状況でしたから、委員会の人たちにとってみれば藁をも掴む思いだったようです。
とにかく私から売り込んだわけではなく、依頼されたとあれば、周辺からはケチはつき難いに相違ありません。そこでこんな私でもよければと承知したわけです。ただし本来引き受けたとなれば任期2年が慣例とのことでしたが、1年限りということを条件にしました。
●引き継ぎ
最終的には5月の総会で承認され決定の運びになるのですが、それは飽くまでも形式であって、引き受けた途端に急に忙しくなります。まずは前任者から数々の年間行事の説明、そしてそれらに会長がどう関わるかなど、会長職の概要を聞き、新学期に備えます。そして総会の時点ではもうすべてが固められていて、当日は全員の拍手をもらい形式だけの承認を受けるだけに整えておかなければなりません。
なにせこっちはズブの素人で、何をどうすればいいのか皆目わかっていません。それでも副会長の女性ふたりは、それまでにもいろいろな役員を体験している、いわばPTA活動に関してのベテランで、すべてを把握していましたから、心配は不要のようでした。
その学校ではPTAという名称ではなしに『父母と教師の会』といい、会は『学級世話人会』と『地区世話人会』とから成り立っていました。新学期が始まると各学年各クラスから選ばれた学級世話人と、各地区から選ばれた地区世話人との会合がまず持たれますが、それ以前に準備が必要です。
まず副会長ふたりと相談しつつ、いろいろな日程の作成をしなければなりません。最初は第1回目の学級世話人会・地区世話人会の日時の決定、そして各月の周年行事など、すでに学校側で決めてある日程に合わせ、会の活動項目のプリントの制作をします。4月に入るとそれぞれの世話人会での役員の選出があります。総会ではじめて承認されるはずの新会長ですが、承認以前に日程や役員の人選をしなくてはならないのです。
●第1回・地区世話人会
始業式の数日後にまず地区世話人会が開催されました。通学域の地区を15に分割してあり、それぞれの地区で親子が親しく交流でき、また地域の人たちとの交流も同様にしていこうという趣旨から生まれた会です。各地区から選ばれた世話人、といっても選ばれたというよりは、実際にはいろいろな事情で仕方なく引き受けた人の方が多いような、そんな世話人の人たちです。それは学級世話人も同様です。中には積極的に参加した人もいますが、選出をジャンケンやクジビキに頼ることも少なくないようなのが現状です。
さて地区世話人会では、まず代表1人・副代表1人、青少年対策委員3人・交通対策委員5人・推薦委員3人を決めなくてはなりません。こうした時も下手をすればジャンケンということになりかねないのですが、私は極力そうした方法ではなしに、話合いの中から、それぞれが積極的に名乗りをあげて欲しいと願いながら、議事を進行させていきました。
勝手を知っている人たちは楽な役に名乗りをあげていきます。時間に限りがありますから、それはそれで受けていきます。そうして当然のように代表・副代表の決定が最後になってしまいます。
翌年の会長・副会長の選出もそうでしたが、なかなか面白いものです。なにせ男は私だけです。そのことの善し悪しは別にして女性同士でそうしたことを決める時というのは、かけひきがあり虚々実々です。本心がどこにあるのか、本心は見せないのか計りかねます。ですから世話人の代表・副代表にしても、それが本当にふさわしい人になるとは限りませんし、また周囲から推薦された人が本当はやってみたいのに、遠慮したりもするのです。実はそこに出席していない人さえもが人選に深い関わりを持ち、裏で動いていたりもするのです。つまり本当はやってみたいと思っていても、口さがない人たちから何を言われるかわからないから、遠慮しておくというような雰囲気なのです。
それを察した私はその女性に言いました。自分は何もしないで批判だけするような人は無視した方がいい、どうせそうした人はどっちに転んでもケチをつけるものなのだからと。とにかく何ごとによらず積極的に動くことが大切なんで、なにも悪いことをしようというのじゃない、子供のため地域のためを思っての行動なんだから、遠慮することはないし恥じたりすることじゃないと。
その結果、彼女は代表を引き受けました。そうなるとすぐに副代表も名乗りをあげてくれ、思いもよらず短時間ですべての役が決定しました。ベテラン副会長ふたりは私の手腕を褒めてくれました。
『でも、男の人だから言えるのよね、ああいうことって』
あとになってその代表になった女性の欠点もわかり、他から批判の出る要因もわかりましたが、積極的だったことは褒められこそすれ、決してけなされることではありません。ケチをつける人は、それなら自分が積極的に活動に参加し、自分が代表になればいいんです。代表にならないまでも、気にいらないところがあるなら、陰でケチをつけるのではなく、参加して代表の足りないところをフォローすればいいじゃないですか。
そう思う私は彼女の持ち出す案を極力賛同し、足りないところをすべてに渡ってフォローしました。そんな時に思ったことですが、副会長は男だからできると言いましたが、実は男ゆえの危なさもあるんです。それは特定の女性をフォローし過ぎると、男と女としての『あらぬ噂』を流されることがあるのです。幸いにして私は《いい男》に属していないせいでしょう、嫉妬をかうことがなく、そのために『あらぬ噂』を流されることもまったくなく、無事だったのです。
●第1回・学級世話人会
地区世話人が各地区から2名づつ選ばれるように、学級世話人も各クラスから2名づつが選出されます。その中から代表1人・副代表1人、そして会計2人・書記2人・会計監査1人・地区世話人会同様に青少年対策委員2人を選出します。さらに6種類の周年活動をそれぞれの学年に振り分ける作業もあります。
地区世話人会に比べれば、比較的に自分から役を引き受ける人が多かったようですが、それでもなんらかの理由をつけて辞退しようとする人もいました。
例えば「ウチには年老いた親がいるから」「小さい子がいるから」「仕事を持っているから」などです。
そうした時に私は「年老いたお母さまはご病気ですか?」と聴きました。すると元気で時には子供の世話を頼んだりもしていると言うではありませんか。「ウチには寝た切りの母がずっといましたが、そうした時でも妻はいつも極力積極的に学校と関わりを持ってきましたよ」と言って説得しましたし、小さい子がいるからというなら、私の家には子供が4人いますからと説得力を持ちますし、仕事を持っていることを辞退の理由にする人には「実は私も一応仕事は持っているんですけど」と笑いを誘うように言うと、快く納得してくれました。逆に言うと私のような家庭事情を持った男が会長をやっているとなると、誰もが役を断り難く困ったことだと思いました。
ということで、思った以上にすべてがスムーズに運び、無駄な時間をかけることなく、またジャンケンなどにも頼ることがなかったことを、副会長をはじめ過去の例をしっている人たちから喜ばれ、誉められたのでした。まずは順調な滑り出しでした。
●総会
すべての下準備が進み資料の印刷をし、総会に備えました。そうして総会を迎え、新会長・新副会長のみならず、新役員・新世話人が承認されることになるのです。もうこうしてかなりの活動が事前に始められているというのに、その後で承認というのも変なものですが、システムとしてそうなっているので、矛盾を承知でそれに従いました。
当日になって当然のことながら驚いたのですが、総会への出席者の中に私以外に男はいません。今さらながら子供のことは母親任せというのが、日本の現状であることを認識しました。父親の中にはもちろん関心を持った人もいるのでしょうが、型となっての協力は皆無に等しいのです。
開会されると、まず前任会長の挨拶があり、形式的にすでに決めてあった議長の選出があり、その議長によって議事が進行されます。
前年度の活動状況報告そして会計報告がされて、いよいよ新会長をはじめとする役員の選出になります。ここがおかしいのですが、形式的にその場での立候補を募ります。当然のように誰も出てはこず、推薦委員会で選出された私たちが紹介され、拍手により承認されます。
すべての役員・世話人が承認されると、最後が新会長の挨拶です。
「ひょんなことから引き受けることになりましたが、私は会長というのは学校側と親との、また親同士の潤滑剤であり中和剤と心得ています」と話し始めました。なにせ初めてのことで何もかも不馴れですから、そのままの本心を挨拶に盛り込み、先生方や副会長他役員の皆様、そして世話人・会員の皆様のご協力を戴きながら、出来得る限りの努力をする所存でおります。皆様のご協力なくしては成り立ちませんので、どうかよろしくお願い致します、などと挨拶を結びました。
最後に前会長の再びの挨拶があり、校長の挨拶があって総会は無事に終了しました。
●歓送迎会
総会のあとには必ずこれが恒例になっています。親たちと教師たちとの懇親を含め、転出・転入教師の歓送迎の催しです。通常こうした時に会長は挨拶をするだけで済むわけですが、私の性格上、また司会を仕事としている関係上、この会の司会もかって出てしまったわけです。また時によっては会員の中から、隠し芸の披露があることもあります。過去にそうしたものを見せられてびっくりしたことがありました。凄い芸が出てくるんですよ、実際の話。まあ幸いというんでしょうか、この時はそれがなかったものですから、転出する先生や転入の先生方に私がインタビューをすることにしました。
自慢になりますが仕事の延長のようなものですから、いろいろと面白い話も引き出せまして、比較的好評を得ましたが、新任の教頭から時間が長過ぎたとクレームがつきました。私は与えられた時間通りでまとめたと自負していましたが、教頭がいうにはそのあとの校長室での懇談の時間が少なくなってしまったということでした。実はあとでわかったことなんですが、理由は他にあったんです。この教頭は私と同じに司会が好きなんです。なのにそれを私がひとり占めしてしまったのが、面白くなかったんです。でも私は司会のプロですから、素人の教頭よりは絶対にうまいですし、だからこそ当然のように好評だったわけです。
ということで教頭はともかく、私は大いに楽しんでしまったわけです。なにせ司会と会長とを兼ねると面白い状況が生まれます。その前年のある披露宴で司会と媒酌人とを兼任したことがありまして、その時と同様です。まず司会者としての挨拶のあと「それではここで新任の会長からの挨拶です」と自分を自分で紹介します。そして今度は会長としての私は中央のマイクに進み出まして「只今、紹介を戴きました新任会長の宮田治郎です」とやりますと、大した冗談じゃないですが、結構、皆さん笑ってくれます。そのなごやかさが大切なんです。なにせ懇談会なんですから、雰囲気作りを第一にしなくてはなりませんし、それにここから1年間に渡って会長を勤めるわけですから、皆さんに親しみを持ってもらわなければなりません。とりわけこうした年度はじめの総会と、歓送迎会にだけしかでてこない会員の人もいるわけで、そうした人たちには私を大いにアピールしておく必要があるのです。親しみを感じてもらえるのと、偉そうにしていると思われるのでは、今後の活動の評価も全然違ってきますから、などと言いつつ、時間を私物化してしまいましたが、先生方の評判も教頭ひとりを除いて好評で、とりわけ校長など大いに喜んでいました。
●第1回・代表世話人会
会長・役員以下の、総会での承認以後に、決定済みの代表世話人が一堂に揃います。まず会長として出席者に出席の労をねぎらい、次に1分程度の挨拶をします。そして議題に入っていきますが、こうした時の司会
進行は副会長の役目です。
まず最初の議題は総会・歓送迎会の反省です。テーブルのセッティングがどうのとか、コーヒーは温冷両方揃えておいてよかったなどという話や、会場が両方一緒だったので、総会から歓送迎会への移行の時の説明や対応を、もっと明確にする必要があたのじゃないかというような話です。また親はともかく教職員の場合は、全員を会員に誘うわけにはいかないけれど、会の途中で会員になっていない職員がきた時に、今回は参加を断ってしまったが、もっと柔軟な対応が必要ではないかという話題もでました。会費を徴収するだけに職員の中には会員にならない人もいます。でも歓送迎会の賑やかさにつられてか、その途中で参加しようという職員がいたというわけです。それを会場入口近くの係員が会員以外は参加できないとして、断ってしまったということだったのです。ルールというものは末端でどうとでも解釈できるものなのです。今後はそうした時にどうするかの、ひとつの反省点でもあり再考すべき点でもありました。
次に年間活動案に議題が移ります。おおむね1年間の活動案は決まっていますから、それらを各学年の世話人の希望を聞きつつ、それぞれに割り振っていきます。前もって前年度の世話人からそれぞれの内容は継承してありますから、こうしたことの決定にはさして時間はかからず、それぞれの希望通りに決定しますが、いざそれを実行するに当っては、いずれにも少なからず苦労が伴うものです。
活動案5項目の第1は《世話人便り特集号》の発行です。通常、世話人会での内容をその都度プリントにし、一般会員に配付しますが、年に1度の特集号は先生方を、会員一般に知ってもらおうということで、その発行に携わる世話人の考えたアンケートを、先生方に答えてもらうところからのスタートになります。
世話人たちが相談をしあい、内容を決定しアンケート用紙を作り、先生方に配付し、そして回収します。その内容は大体が他愛のないもので、趣味だとか、子供の頃に好きだった遊び・流行していたことの思い出だとか、座右の銘だとかそんなものですが、そんなことでも教頭のチェックがあり、例えば先生の干支などはカットになってしまいます。どういうわけか自分の年齢を親たちには知られたくないようなのです。そんなことはいくら隠そうとしたところで、いつかは知られてしまうのに決まっているのにです。それでもそんなことで悶着するのもバカバカしいので、教頭の悪口を言い、グチをこぼし合うだけにして次に進みます。
でもそんな教頭でもいいところもあって、その特集号のための先生方の顔写真撮影を買ってでてくれました。もっともそんなことも、そして翌年の歓送迎会の司会を買ってでたりするのも、単に教頭が目立ちたがり屋だけでしかない、という見方の方が圧倒的だったようです。
それでも私が教頭と率先して敵対関係になってしまってはいけませんから、腹立ちは抑えて表面はにこやかに中立を装っていなくてはなりません。親たちの中にスパイをさえ作らなければ、教頭のいる時とそうでない時とで、態度をはっきり別にし、むしろそれを親たちとの笑いのタネにしたりして、楽しむことで却って全体の融和にもつながったりします。ここでおかしかったのは例の地区世話人の代表が、母親の一部からは嫌われる要素を持っているのに、なぜか教頭とは気があうというか、気に入られていたのです。そのお陰で役員たちが教頭に頼み難いことを彼女に任せると、どういうわけか教頭はふたつ返事でOKしてくれるということがしばしばでした。
●世話人便り特集号
前年度に妻がその役に関わっていた関係で、私がその時に教職員の写真を撮り、文面も私のワープロで作ったり全体の編集もしたことで、作り勝手を知っていたことから、今回《特集号》の担当になった2年生の学級世話人の人たちがわが家に集まって来、私も交えて編集会議を開くことになりました。
中のひとりの知人から無料で紙が入手できるので、従来より見た目豪華な作りにしても予算内におさまるということで、それだけでも全員に熱気があり、やる気充分という雰囲気でした。私は教職員の顔写真はひとりひとり撮るよりも数人づつ撮り、製版時に別々にした方が経費節減につながるなど、前年のノウハウを提供しました。
教頭のチェックや考え方に腹を立てたりグチったりしながらも、ちゃくちゃくと型が整っていきます。教職員からのアンケートもすべて整い、校長や教頭の挨拶文も届き、紙面の割り付けも決まります。B4ー4ページともなると、相当量の文章を盛り込むことができます。最終ページには教職員の出身地が一目でわかるような日本地図を書き込もうなど、いろいろなアイディアが出されます。幸いにして地図やイラストの得意な人もいて、ことはスムーズに運びました。
タイプ印刷にすると経費がかかるので、できる限りワープロでということになり、前年に続き私が引き受けることになりました。誰もがどんな仕事でも面倒がらずに積極的に関わることで、すべてが円滑に運びます。そしてそれが型になった時、共通の喜びを感じることができるのです。それは他のどの活動案の実行も同様で、年度末の反省会の時に誰もが似たような満足感を話題にします。
●給食試食会
どこの学校でもやっていることですが、年に1〜2度の給食試食会があります。かなり大勢の親が参加を希望します。それだけ給食に興味があり関心も深いのかと感心すると、理由はそれだけではないようです。多くの母親は家で自分ひとりの昼食準備の手が省けることを、たとえ年に1〜2度とはいえ歓迎しているというのが実態のようです。
小学校児童は年々減少の一途をたどっています。そのために使われない教室が増え続け、それをランチルームや多目的ルームに改造しています。大部分の児童は自分たちの教室で給食を食べますが、順番でランチルームを利用します。その日は2年生が校外学習の日で、私たちは通常なら、その子たちが食べるはずの給食を、その子たちが利用するはずのランチルームで試食しました。
丸いテーブルに花柄をあしらったテーブルクロスが掛けられてあり、それぞれのテーブルの上には蛍光灯ではなしに洒落たペンダントが下がっていて、まるで玩具の国のレストランといった印象です。
まず日頃の子供たちの給食の様子をVTRで見ます。係りにあたった子供たちの白衣姿で働くかいがいしさ、行儀よくたべながらもVTRを意識する様子、給食の中味だけでなしに時代の差をつくづくと感じました。次に栄養士から説明がありました。本来であればすべて自然食で整えたいが予算の問題もあり、また自然食の場合は都合によって注文の食材が届かないという短所があり、そうした時の突然のメニュー変更はできないなどの理由から、それができずにいるとのことです。
栄養士の話のあとに会長が挨拶をします。「本日はご多用のとこらを、こんなにも大勢の会員の皆様に参加をして戴き〜」などと通りいっぺんの挨拶をし、自分の小学校時代との違いの驚きを話します。なにせ私たちの世代は給食の1期生です。とりわけ私の通学していた小学校の給食設備は、当時のモデル校で報道取材もありましたし、全国から毎日のように見学者があったほどのところだったのです。にも関わらずその料理は酷いもので、私は家でそれほどいいものを食べていたわけではありませんが、とても食べられたものではありませんでした。あのコッペパンそして脱脂粉乳、それによく煮えていないガリガリのニンジンやダイコンの味噌汁など、私には給食といったらいい思い出はありません。当時は物資もなく事情はわかりますが、今の給食とは天と地ほどの開きがあります。あのころは日本全体が貧しく、家庭ではまともな食事を採ることができず、そこに給食の必要性があったわけですが、あの給食のために好き嫌いが生じたことも事実ですし、少なくとも私たちの世代に牛乳嫌いイモ嫌いが多いのは、そこに起因しているといっても過言ではないでしょう。
それに比較すれば現代の子供たちは幸せです。こんなにおいしくしかも栄養面からも深く考察されたものを食べているのですから。逆に今はどこでも、なんでも食べることができる状況にありながら、家庭によっては防腐剤や添加物など、身体に有害なものも採取させられているわけで、くれぐれもお母さんたちは子供の健康管理には気をつけてもらいたいものです。
次に校長の挨拶があり、世話人の誘導によっていよいよ試食の運びになります。
そこでは言いませんでしたが、食べた感想を言うなら、私たちの時代とは部屋の環境も食器なども、まさに隔世の感がありましたし、給食そのものも決してまずくはなかったんですが、凄く薄味でした。
●運動会での挨拶
会長の仕事は大別して次の4つです。《行事における挨拶》《会議におけるまとめ役》《PとTとの潤滑油》《地域や会での飲み会のつきあい》。最初に前任者から言われたのが『酒が飲めないとちょっと辛い』でしたが、ことこの4番目だけは絶対の自信がありましたから、困ったことはありませんでした。むしろいつも飲み足りないぐらいでした。実際にいつのどこでの飲み会でも、私は途中で抜け出したことがありません。いつでも二次会三次会と続け、最後に残っているのが常に私でしたから。
さて他の3つの中で挨拶が苦手という人は多いものですが、私は大好きで、それも聞いてくれる人が多ければ多いほど張り切ります。
そこで運動会の時の話になりますが、日曜日は通常、仏滅でもない限り私には披露宴司会の仕事が入っていましたから、運動会当日も2組を受注していましたので、もし好天だった場合は、初めてPTA活動の行事に欠席せざるを得なく、その日は私に変わって副会長が挨拶をしなくてはならず、彼女はただひたすら雨になることを祈っていたということです。
その祈りが通じたのでしょう、当日は台風20号によりドシャ降りの雨で、運動会は翌々日に延期されました。私としても歓迎の雨でした。なにせ私は副会長と違って挨拶をしたくて仕方なかったですし、行事に欠席もしたくなかったのです。
会長の挨拶は最後になります。ですから感想も述べなくてはなりません。私はそうした挨拶の文面の90%を1カ月前には作って頭に入れておきます。残りの10%は当日の様子を見てアドリブで入れることにしています。
その時は雨による延期ということもありましたので、そのあたりも急遽挿入しました。
「本日は平日にも関わらず大勢の会員の皆様、そして地域の皆様にお越し戴き心より感謝致します」と始めたあとで「先日は雨のために延期になり、そのために来られなくなってしまったお父さんお母さんも多いかと思いますが、うちに帰ったらお父さんお母さんに、こう言って謝ってください。実を言いますと、あの台風は会長の私が呼んだのです。と言うのにはわけがあります。一昨日だと私には仕事があって出席できなかったのです。私はなんとしても皆さんの運動会を見たかったし、こうした挨拶もしたかったのです。それでわがままとは思いましたが、台風にきてもらったのです」と話しました。そして「さて冗談はそこまでにして、今日は本当に楽しく観戦させてもらいました」と競技の中のいくつかの感想を述べ、さらに先生の参加した競技への取り組みについても述べます。とりわけ子供以上に必死になっていた先生の奮闘振りについて言及します。そして最後に謝辞を交え結びにします。
「最後になりますが、このような素晴らしい運動会の準備に力を注いでくださった、校長先生をはじめとする先生方に、そして本日は平日にも関わらず観戦にお越し戴いたお父さんお母さん方、そしてご近所の皆様、またこの運動会を陰で支えてくださった役員・会員の皆様に心より感謝します。本日は本当にありがとうございました」
●葬儀
会長・副会長の番外の役目として、役員・会員の葬儀への参列があります。この年はいつもと違い珍しく葬儀が全然ない、とベテラン副会長ふたりから話を聞いていた途端に、ある教師の父親の訃報が入りました。この通夜が大変でした。
その日の午後突然に教頭から連絡があり、ふたりの副会長と待ち合わせをして通夜に向かいました。教頭の話では奥多摩駅からバスでちょっと行ったあたり、と聞いていましたから、そのつもりで出掛けたわけです。
ところが時間帯が悪かったのでしょう電車の乗り換えの接続が思うにまかせず、立川でも青梅でも待ち時間が長く、奥多摩駅に着いた時には、もう真っ暗でその日の最終バスは出たあとだったのです。仕方なしにその教師の実家に電話を入れると、すぐに車で迎えにきてくれるということになり、駅で待っていたのですが、その車がなかなか来ないのです。通夜の最中だし、いろいろと手が不足しているだろうから、すぐというわけにもいかないのだろうと勝手に解釈していましたが、すぐには来られない理由は別だったのです。
迎えの車に乗ってその理由がわかりました。教頭の言う奥多摩駅からバスでちょっとなどという生やさしい距離ではなかったのです。山坂を越えいくつもの峠を通り、ようやくたどり着くという有様だったのです。それだけにそんな遠いところをわざわざと相手は喜んでくれましたが、私たちは帰路が心配になり、食事や酒をすすめられましたが、さすがの酒好きもこの時ばかりは辞退し、すぐに帰ることにしました。
また奥多摩駅まで送ってもらいましたが、ここからが大変だったのです。青梅・立川を経由して三鷹に着いた時はもうそれが終電で、そこからのバスなど当然もうありません。3人でようやくタクシーに乗り込み、家に着いた時はもう深夜でした。駅からバスでちょうっとのところだって? ムムッ 教頭め! と、また3人して思ってしまいました。
●1日教育学級
年に1度、誰か講師を呼び教育についての講演を開くという行事があります。この年は担当のお母さんの提案で、普通の話だけではなしに、なにか変化のあるものをということになりました。しかし講演料の助成金が市からでるので、規約があって、ものによっては許可されないこともあるというのです。
お母さん方の考える案は、ある楽壇のコンサートマスターをしている、ヴァイオリン演奏家にきてもらおうというものだったのですが、例によって教頭は前例を持ち出し、演奏会は講演とは認められないなどと言い出すのです。なにか変わったことをやろうとすると、必ず前例を例にして反対する、そんな人は何処にもいるもんですが、私は逆の人間ですから、お母さん方の味方をします。どの道、決定権は教頭にあるわけではなく、市にあるわけですから市の係に問い合わせればいいわけです。
案ずるより産むはやすしでした。つまり講演中の話の時間が演奏より少なくなると、講演ではなくコンサートになってしまうので許可できないが、話の方が時間的に多ければ講演として認められる、ということなのです。
さて当日です。某有名フィルハーモニーのコンサートマスターをされている奏者の演奏に、まずは堪能しました。そればかりか彼は話術にも長けていて、話題はモーツアルトに留まることなく、美空ひばりにまで及び、聴く側を飽きさせませんでした。最後に校長と私の挨拶があって会は無事終了しました。またまた自慢になりますが、ことスピーチということでは自信のある私です。この時も前に私はピアノ演奏発表会の体験がありましたから、そんな話を交えつつ音楽を聴くことの、そして演奏をすることの楽しさについて話をしました。そして例によって結びは演奏者に対しての労いであり、開催にこぎつけた役員への褒め言葉と、大勢の参加者への謝辞です。またまた新たな活動の糸口が広がった思いで嬉しいばかりでした。
●以下は『PTA会長入門/学校と関わろう2』に掲載。
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