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なかのくちの家

建築家の金子晴俊さんが自作を紹介するとき、我が家の名前を「なかのくちの家」とつけた。
で、自宅の写真集のアルバムをつくるとき、表紙に使ったのがこれ。
   表紙:和紙/自書

「なかのくちの家」。
家づくりとまちづくりは同じだとつくづく思う。
家づくりにかけられる経費にはおのずと制限がある。
まちづくりも同様。

また、土地の広さや向き、形状、採光などといった地理的条件、気候・風土、歴史、人の構成や気質なども、それぞれの家庭やまちで、すべて異なる。
その中で、どうやったら、自分たちが住み、暮らすハコモノや環境が快適になり、終(つい)の住みかにふさわしいものになっていくか、それは、そこに住む人自らが考え、選択し、実施していく必要がある。

そこでそれを実現するに、まず必要なのが、そこに住む人の夢や、熱い想いと願い。
そして、それに力を貸して実現してくれる「人」。

幸いにして、私たちには、新建設計の金子晴俊さんといった優れた設計士と、(株)トーア(現東亜燐寸(株)家づくり工房)といった、親身にこの家に愛情を傾けてくれ、いい材料と技術を提供してくれた施工業者に出会い、それらのかたがたの力を得て、この家をつくることが出来た。
金子さんとトーアの営業だったHさんには、本当に感謝しているし、今でもお付き合いをさせていただいている。


この、施主、設計士、施工業者の三者の関係が大切と思う。
一人で、考え、作り上げることは夢であり、とてもいいことだと思う。
けれど客観的にものごとを見ることが難しいのではないだろうか。
ニ者では関係が緊密すぎる。
三者のバランス感覚がちょうどいいのではないか、と思う。

喩(たと)えだが、一本足の椅子はどこでも利用できるが、安定性に欠く。
もちろん2本足もそう。
4本足は地面が真っ平らのところはよいが、少しでもでこぼこがあるととても不安定になって、見た目が安定しているようにみえるがために、場合によって二本足よりもっと危険だったりして、具合の悪いこともある。

その点、三本足は、地面も多少でこぼこがあっても、安定性がよい。
この3という関係はものごとがおちつく基準のように思える。
寺社の仏像でも一般的な組織でも、世の中のいろいろなことを思い浮かばせると、この3の関係がいいことがなんとなく分かるような気がする。

話がよこにそれた。

家づくりといってもハコモノだけではない。暮らし方などソフトも含めてが「家づくり」だ。
だから家は、新築して出来上がったときが完成ではない。
出来上がった家とその環境をどうやったら快適なものにしていくか、継続的に、前向きに取り組んでいくことが必要だと思う。


まちにごみが捨てられている。
悲しいことだと思う。
家の中にごみを捨てる人はいない。そんな躾はどこの家庭でもしない。
しかし、なぜ人は、家ですることと、まちですることが違うのだろう。

挨拶をする。
互いにそれぞれの立場にたって、周囲の人たちと気持ちのいい付き合いかたをする。

そういった当たり前のことをなぜ、まちの中でできないのだろうか。

私たちは、この家を、そして私たちが住むこのまちをいいものにしていきたいと思う。
家の前に、花を植え、道行く人に「きれいですね」って喜んでもらいたいと思う。
あいさつをして、気持ちのいい関係を作って行きたいと思う。

そんな願いを込めて、私たちはこの地に根ざして暮らしていこうと思う。