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和室からの庭

家の中、和室10畳のほうから見た庭。
ガラス引き戸の外枠が見えないようになっていて、ピクチュア・ウインドウとなっている。

平成13年11月の末も近づいた晩秋の土曜日、遠くの山へ出かけていって炉にする石を拾ってきた。
そして翌日の日曜日。
日の出の遅い朝を待ちかねて、午前6時から起き出し、炉作りを始めた。
単に石を置いただけの単純な炉。
でも、好きです、この風景。ここからの眺めが。


そういえば、この炉を作った日の午後、公民館で行われた、レイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー」の映画上映を観に行った。
自然を美しいと感じる心。
みずみずしい感性を持つことのすばらしさ。

半年以上まえから準備を始めた「センス・オブ・ワンダー」の自主上映会に、スタッフとして参画して、この本の良さを知った。
この本は、全編、詩情と哲学に満ちている。
分かりやすい言葉で、どの章を開いてみても、心に染み、よごれつつあるまなざしを輝いたものに取り戻してくれる。

その中でも、私にとって一番心に残る場面。
少し長くなるけれど、お付き合い下さい。
もしかすると、あなたにも、新しくて美しい世界を発見できることになるかもしれないから。


子どもといっしょに自然を探検するということは、まわりにあるすべてのものに対するあなた自身の感受性にみがきをかけるということです。それはしばらくつかっていなかった感覚の回路をひらくこと、つまり、あなたの目、耳、鼻、指先のつかいかたをもう一度学び直すことなのです。

わたしたちの多くは、まわりの世界のほとんどを視覚を通して認識しています。しかし、目にはしていながら、ほんとうは見ていないことも多いのです。見すごしていた美しさに目をひらくひとつの方法は、自分自身に問いかけてみることです。
「もしこれが、いままでに一度も見たことがなかったものだとしたら?もし、これを二度とふたたび見ることができないとしたら?」と。


このような思いが強烈に私の心をとらえたある夏の夜のことをわすれられません。
月のない晴れた夜でした。わたしは友だちとふたりで岬にでかけていきました。そこは湾につきだしていて、まわりはほとんど海に囲まれていたので、まるで小さな島にいるようでした。

はるか遠くの水平線が、宇宙をふちどっています。わたしたちは寝ころんで、何百万という星が暗い夜空にきらめいているのを見あげていました。

夜のしじまを通して、湾の入口のむこうの岩礁にあるブイの音がきこえてきます。遠くの海岸にいるだれかの話し声が、一声二声、澄んだ空気を渡ってはこばれてきました。

別荘の灯が、ふたつみっつ見えます。そのほかには、人間の生活を思わせるものはなにもなく、ただ友だちとわたしと無数の星たちだけでした。

わたしはかつて、その夜ほど美しい星空を見たことがありませんでした。空を横切って流れる白いもやのような天の川、きらきらと輝きながらくっきりと見える星座の形、水平線近くに燃えるようにまたたく惑星‥‥。流れ星がひとつふたつ地球の大気圏に飛び込んできて燃えつきました。

わたしはそのとき、もし、このながめが一世紀に一回か、あるいは人間の一生のうちにたった一回しか見られないものだとしたら、この小さな岬は見物人であふれてしまうだろうと考えていました。けれども、実際には、同じような光景は毎年何十回も見ることができます。そして、そこにすむ人々は頭上の美しさを気にもとめません。見ようと思えばほとんど毎晩見ることができるために、おそらくは一度も見ることがないのです。

たとえ、たったひとつの星の名前さえ知らなくとも、子どもたちといっしょに宇宙のはてしない広さのなかに心を解き放ち、ただよわせるといった体験を共有することはできます。そして、子どもといっしょに宇宙の美しさに酔いながら、いま見ているものがもつ意味に思いをめぐらし、驚嘆することもできるのです。


彼女、レイチェルは、次の言葉も残している。

「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではない。


60ページほどの、1時間もかからないで読み終える薄い本です。
どうか手にとって、ごらんになってみてください。
ぜひお勧めします。

「センス・オブ・ワンダー」 レイチェル・カーソン著/上遠恵子訳 新潮社刊 定価1,400円(税別)